がたん、と音がした。
「…ぜぇ、はぁっ…ま、まったく…本気で走りよってからにぃ…」
息を乱し荒げ、疲れきっているくせに僕の肩にかけた手は離そうとはしない。
僕はそんな太子を見ようとはしない。お相子だ。
太子の息の乱れが収まると、其処には小さい静寂が訪れる。それを掻き消すように、口を出したのは太子だった。
「…ねぇ」
その一声だけで、僕の身体はびくりと震えた。太子に怯えているわけではない。怯えている、わけではないんだ。
「どうして、逃げたの?」
真っ直ぐに僕の心に突き刺さってくるその言葉に、思わず僕は唇を噛み締めた。
そうさ。僕は逃げ回っていたんだ。こいつから。
遊びなんかじゃなくて。本気で。逃げようと。
朝廷内で走り回るなんて僕の柄じゃない。寧ろ僕は太子を追いかける側であって、こんなことにはならないのだ。
だけど、逃げた。今回だけは、僕が、逃げた。
でも朝廷内では太子の方に地の利があって、知らず知らずの内に追い込まれて、気がつけば何処かの片隅の部屋の壁に押し付けられていた。
体力は僕のほうが上なのはどう考えても確かで、太子はだからこそ息を荒げていた。
今はその息も収まり、ただ僕を見つめているだけだったのだが。
太子は其れからは何も言わなかった。僕の答えを待っているようだった。
何時もとは違うんですね、馬鹿っぽくなくて、と思わず心中でそんなことを呟いた。
そんなことを呟いても僕は分かっていたはずだ。
こういう時の太子は真面目だと。僕も驚くようなほどの真剣さで、僕に言って、呟いていたと。
「……如何して、」
冷たい空気が自分を包んでいるようだった。こんな誰も使わないような部屋で、僕たちは一体何をしているのだろう。
正確には太子にこんなことをさせてるのは僕だ。今回ばかりは、僕が悪い。
太子の顔を見れないまま、僕はその言葉の先を呟こうとした。
「如何して、僕は、」
あなたを、
その先を言う前に僕は口は噤んでしまった。ああ、やはりこれ以上は言えない。
ただ何度も巻き戻すかのように、如何して、如何して、と呟いて。
太子の肩にかけていた力が離れて、僕は脱力したようにその場に崩れ落ちた。
それを追うように、太子はしゃがみこんで僕に目線を合わせた。そして、
「ぅ、」
座りこんでしまった僕を、太子はまるで子供をあやすかのように抱きしめた。
何を子供扱いしているんだ、とそんなことを僕は言えない。
太子に抱きしめられると、何を言っていいのか分からなくなる。胸がきゅうっと締め付けられる。
どうしようもなくて。
「いもこ、」
名を呼ばれる。じわりと何かが心を浸食していく。
「すきだよ」
じわりじわりと、広がって、いく。僕はまたどうしようもなくなって、瞳を閉じた。
そうすると直ぐ近くにある太子の鼓動が、やけにリアルに聞こえて、何故かなきたくなる。
ああ、だから、どうして。
僕は怖かった。ずっと、ずっとずっと怖かった。
いつかこの人が僕から離れてしまうことが。離れなければいけないときがくることが。
この格差が、この上下差が、どんな時も僕に這いより擦り寄ってくる。
全てを見つめるあなたの目が、とても遠く思えて、僕は呆然と、そして自嘲的な笑いを零した。
だから逃げたんだ。いつものように戻ったあなたを見て、僕は逃げ出した。
これ以上。これ以上、と。これ以上してしまったら、もう、と。
だけど無理だった。あなたはいつだって僕を追いかけた。捕まえた。僕を包んで、しまって、
「どうして僕はあなたをすきになったんですか…」
小さく搾り出すような声に、頬が濡れた感触がする。太子の胸にもっと押し付けられる。
いつもの匂いにも今では安心してしまう。こんな自分が、もう後戻りは出来ないのだと思わせて。
きっとあなたはわかっていた。全部わかっていた。
僕があなたを好きだとちゃんと言えないことも。僕があなたとの差をどう思っているのかも。
それでもあなたはこうして傍にいてくれる。全部わかってくれるからこそ、僕を追いかける。
なんてどうしようもない人なんだ。僕も、どうしようもないのだと、いうの、に。
「久しぶりにピクニックにでも行こうか。妹子の為におにぎりを作ってやろう」
僕を抱きしめる腕も力も変えないまま、太子はそういって笑った。
ツナばっかりはいやですよ、と僕は泣き笑いのまま、あなたにつげた。
個人の趣味サイトでありまして、著作権の侵害などの目的は無く、
原作、企業、作家様とは一切関係ございません。
そしてこのサイトには同性愛、変態要素盛りだくさんなので観覧の際はお気をつけください。
※絵や文の無断転載は禁止です。
※オンラインブックマークもやめてください。
Powered by "Samurai Factory"